--.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Wed.

『死の存在』の意識.

ちょっと今日は暗めの話で申し訳.
部活の後輩ちゃんから借りた本を読んでいて思ったこと.

その本の一説には,ぼくが死を初めて意識したのはお婆ちゃんが死んだ時だった.とあった.

普通に生きていたら,死を考えるのは身近なヒトの死なんだろうね.
小説やなんかでは,その悲しみや苦悩を味わうが友人(或いは先生など信頼するヒト)の一言かなんかで徐々に活路を見い出していく.
そんなのがよくあって(この小説もその部類だろうけど),でもそれはあくまでも小説のなかで考えはするけど身近には感じていないと思う.

僕が死を知ったのは,家業のせいもあってきっと物心つく前だったんだろうと思う.

身近な死で言うなら,ひいばあさんの葬式が小1の時あったけど,平日なのに忌引きでお休みだと浮かれていたと記憶している.

もっと言うなら,
中2の9月に父方のじいちゃんが,
中2の10月に母方のじいちゃんが,
中2の11月に父方のばあちゃんが死んだ.

どう?
1ヶ月に1人ずつ死んじゃったって笑えないけど,笑い話でしょ?

つまり,僕って不幸でしょ?って言いたい.
そんな自叙伝めいた小説がが一番嫌い.

さっき言ったけど,ウチの家業は寺な訳で.
人の不幸が,人の死が商売に直結してるって訳.

嫌な仕事でしょ?
父さんたら実の父と母が死んでも涙流さなかったしね.

当然って訳じゃないけど,僕も涙は流れなかった.
悲しかったけどね.

それだけ死に直面しても,死はいつか必ずやってくるって幼い時から見てきてるから死は怖くなかったかもしれない.

ただね,自分は大分間違ってると思うよ.
うん,間違ってる.

だから,そんな小説の一説を見つけてこんなこと書いてるわけ.
死なんていつか必ずやってくるなんて,この世に生を受けた瞬間から分かってることなのにね.

あしたはウチで葬式あるから,今ウチの広間に遺体があるンだけどさ,なんとも思わない自分は何なんだろうね.

こうしてる間にもみんな一歩ずつ着実に死に歩を歩めています.
だから,死んだ時(正確に言えば死んだら何も考えられないから死ぬ間際)に,俺の人生悪くなかったな.なんて思えればそれでいいと思う.
それが充実した人生.
そして有るべき死の理想の迎え方なんだと思う.

そんな訳で,僕思うの死は虚無ではなく完成だと思う.
葬式なんて送別会だよね.

いかに中身の濃い完成作品を作れるか.
それが人生と言うもので,死に直結した過程だと思う.

結論:だからみんな,人生充実させようね.笑

終わりに大好きな小説の一部の詞を,

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる

私はきっと愛したことを思いだす
23:20 | 携帯から。 | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑
サヨナライツカ | top | 不安は睡眠を妨げます!!

comments

#
死は当たり前のこと。っていいですね。
私も、一度事故にあって
一部記憶なかったり、
あと30分で血圧が上がらなかったら死んでた…といわれたとき、身近になりました。
だから、ホントに今目の前にあるものは
宝物なんでしょうね。
自然のくれた…。

「夏の庭」は死をテーマにしてるけど、
好きですね。
by: 子ウサギ | 2008/10/30 15:31 | URL [編集] | page top↑

post a comment















管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

この記事のトラックバックURL:
http://sorakanapp.blog76.fc2.com/tb.php/694-d91ce5f1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。